2014年6月24日火曜日

宝篋山散策 ~棚田から山頂まで~

 先日二回に渡って宝篋山に行ってきた。今回は、その時のことをまとめて書いていこうと思う。

 宝篋山については先日航空写真で時代を追ってみたところ、山全体でかなり植生の変移があることがわかった。具体的には、アカマツ林から針葉樹、広葉樹林に変わっていたり、皆伐があるなどだった。それを現地に行って確認してこようと思ったのと、ただ単に自然観察をしようと思って行ってみた。

 見た目でずっと変わってきていないように見えて、実際にはこの60年で大規模な変化を繰り返してきたようだ。一旦禿山になっていたのに数十年でわからないほど回復するとは、自然の力というのはすごいものである。

1975年の宝篋山航空写真。今と全く植生が違うことがここからもわかる。
国土地理院空中写真閲覧サービスより。

・麓 

 麓の棚田は、かつて皇室献上米ともなった小田米の産地だ。中央の高台は畑や放棄地になってしまっているが、沢筋は今でも立派な田んぼがある。一部では減農薬栽培をしているようで、今では珍しい水生昆虫や水草を見ることができる。
ホタルブクロ
人工的に植えられたのか、判別はつかなかった。個人的に好きな花。
ウラナミアカシジミ
そこそこレアとの話が
水だけを貯めたビオトープのようなところで発見。
これはシマゲンゴロウで、中型のゲンゴロウだ。小型のものはともかく、中型以上は生息地を選ぶ。
準絶滅危惧(NT)(環境省レッドリスト)
同じビオトープの水草。中央の黄緑がキクモ、少し濃い緑がシャジクモ。他に多く生えているものは分からなかった。

麓から少し行ったところは林のようだが、これは湿地の先駆種のハンノキだ。
上記の写真で棚田だったところが放棄されてこうなったようだ。


色々と問題になっていた麓の人工池に放されたニシキゴイが打ち上がって死んでいた。コイが飛び跳ねて死ぬことはよくあるらしいが、、池から垂直に3メートルほど高いところで死んでいたのが不思議だ。ひとのイタズラか、動物の仕業かもしれない。

・登山

 実は、宝篋山の山頂まで行ったことは今までなかった。今回はキノコの研究をしている同級生と登れたため、途中に生えているキノコの話や、キノコと植物の関係の話を聞くことが出来た。

 見えないところで働いている自然というのは、見えないけれどもとても大きな働きをしている。キノコの植物に与える影響というのは単なる腐朽だけではなく、栄養分を分け合う共生関係もあるらしい。そんな働きにも目を向けられるようにならなければいけないと思った。

 また、山頂近くではソウシチョウの群れを見ることが出来た。


筑波山女体山頂付近のソウシチョウ
6/14撮影

 ソウシチョウは、姿も鳴き声も大変美しい鳥である。筑波山では登山道周辺にもよく出てくるため、その鳴き声に耳を傾ける登山客も多く見かける。しかし、ソウシチョウは特定外来生物に指定されている。元々ペット用に輸入されていたのが、放されて野生化している。ウグイスなどのニッチを奪うおそれがあるとのことで、特定外来生物に指定されたようだ。

 正直、ブラックバスのように在来種を捕食するような生物の特定外来生物指定は納得できるのだが、ソウシチョウには疑問を感じていた。しかし、筑波山での現状や、宝篋山にまで広がっている繁殖力の強さを目の当たりにすると納得である。

 このように人為によって持ち込まれた生き物は、たとえ美しくても生息が広がらないように努力しなければならないのだろう。


ヒトクチタケ
枯れた赤松につくそうだ。この赤松は大木だった。宝篋山は元々赤松だらけだったそうだが、今は尾根筋にわずかに残るのみである。

オオホウライダケ
沢沿いの登山道で多く見られた。
 
イノシシの足跡。宝篋山に限らず、筑波山全域でイノシシの被害は広がっている。キノコも食べるため、セシウムが濃縮されてしまっているのも問題となっている。 
野生化したチャノキ。元々栽培していたものが意外と広範囲に広がっている。もちろん、これからも美味しいお茶が作れるようだ。

岩場の苔も美しい。

宝篋山全体は花崗岩で出来ていて、このように美しい渓谷を見ることもできる。

沢を抜けた中腹からはコナラ中心の広葉樹林が広がる。
樹齢を重ねたヤブツバキも見ることが出来た。

山頂のホタルブクロ。これは人工的に植えられたか?

山頂からの眺望。この日は靄がかかっていた。

・夜

 実は、宝篋山はホタルのスポットだ。水生昆虫が多く生息しているところは、同時にカワニナも生息する。そのカワニナを餌とするホタルが多く見られる。ホタルは本来(ここ数百年の歴史でという意味だが)二次的自然に多く見られる。カワニナは砂地の、少し汚れた有機物の多い環境に生息する。そんな環境は本来洪水の後の河原などに成立するものだが、田んぼと用水路というのはその環境を満たす絶好の生息場所だ。用水路は定期的に手入れされ泥が除かれる。また、集落や田から流れる有機物はその餌となる。単に清やかな清流にはホタルもカワニナも住みづらいのだ。
こんな環境が、特にヘイケボタルなどにとって住みやすい。
減農薬・非暗渠、コンクリート化など
4/24撮影
 
 ある程度の人為が生物多様性を増すという例で、ホタルはその最たる例だろう。逆に、この理論が自然に手を加えることに対して暴走を起こすこともある。今の長らく放棄された耕作放棄地や里山は「荒れた」状態だから、手を加えてもとに戻すべきだというものだ。

 これは、確かに大事なことだ。「荒れた」自然は見た目も悪いし、人が利用しづらい。だからといってその放置されてできた環境は悪いものなのだろうか?それを含めて自然であり、「荒れた」というのは主観だ。人が手を加えて住みやすいホタルのような生き物もいれば、逆に住みづらい生き物もいる。そんな生き物たちのこともよく考えることが真の自然保護・保全だろう。

 というのも、この宝篋山では近年大きな意見の衝突があるからだ。ボランティアの方々は多くの人に利用してもらえるように、山を整備して「里山」にしようとしている。一方で、今ある自然に対してそれを壊してしまうのはそこに住む生き物たちのことを考えていないという意見だ。

 そして、例年多くのホタルが生息していた場所もその対象となって、大きく環境が変わってしまったのだ。今まで藪があり、沢があったところが焼き払われ、せき止められ、あろうことかコイが放された。

 あまり知られていないが、コイは外来種だ。しかも、大食漢でその場の水草や貝類を食べ尽くしてしまい、環境に大きな影響を与える。元からいる場所ならともかく、綺麗だからという安易な理由で放しては絶対にいけない。

 どこまで人為を許すのか、というのは非常に難しい問題だ。見た目が綺麗だから、と山にコスモスや園芸品種のツツジを植えるのは正しいのだろうか。自然に手を加える時は、その影響を熟考してもしきれないほどでなければならないだろう。これに対してはいろいろな意見があるだろうから、自分にとって長く研究していきたいテーマだと考えている。

 いずれにせよ、この美しい蛍の光がこれからも残っていってほしいものだ。
ヘリケボタル

ヘイケボタルとゲンジボタル、オバボタルがみられる。

 

 

2014年6月13日金曜日

「狩猟はスポーツ」なのか?



本日の「自然地域計画」の授業で、
『森林環境に対する住民意識の国際比較に関する研究森林環境に対する住民意識の国際比較に関する研究』(1981年)
という調査書について話があった。

 この調査は世界の人々の森林観をアンケートによって統計的に調査したもだ。たとえば、
「あなたは森に入って何か神聖なものを感じたことがありますか?」
「森林に手を加えることについて、森を守るうえで必要な行為だと思いますか?」
という質問などがされる。これに加えて、とある森林の写真二枚を比べて、どちらが好ましいか、という質問をされる。

 結果として、人間は表面上「生物多様性の高い、自然に近い森林」を好むと思われがちだが、実際には「とある種で構成された、一見してすっきりとしていて見た目の美しい人為の入った自然」を好むとわかる。

 内容的にはとても興味深いが、今回は結果の分析を詳しく読む時間もなかったので詳細は省かせて頂く。ただ、今回気になったのはアンケートの一項目にあった
「狩猟はスポーツとして認められるのか?」
という項目だ。

 狩猟=スポーツ、この感覚は欧米的な価値観をとても感じる。実際調査結果を見ると、この項目に関しては世界各地で質問の意図が誤解を生むという指摘があったようだった。自分としても、生き物の命を奪う狩猟をスポーツとするのか疑問を感じてしまう。

 ただし、現状の日本においては狩猟で生計を立てている人はほとんどいない。とすれば、それは趣味の一環で「スポーツ」とされても仕方のないことなのではなかろうか。

 日本各地で鳥獣害が深刻になっている中、狩猟免許の所持者はますます少ない。つい先日、改正狩猟狩猟鳥獣法が可決され、日本の野生動物対策は保護から管理へと大きくシフトした。
環境省 鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律の一部を改正する法律案 の閣議決定について (お知らせ)


 そして巷で「狩りガール」が話題となったり、狩猟生活を描いた「山賊ダイアリー」がヒットするなど、世間の狩猟に対する目は比較的明るい方向に向かってきている。

 しかし、そうすると大きく問題になってくるのが「動物の命を奪う」という行為だ。狩猟の大義名分としては「適正な野生動物管理」であるが、狩猟をスポーツと認めてしまえばそれは人間の楽しみのために無為に生き物を殺していることとなる。

 やはり最近マスコミに狩猟が取り上げられるにしたがって、そのような意見を言う動物愛護団体が増えているような気がする。

 無論、自分としては狩猟は人間と自然の適正な関係を築くために重要だと思う。家畜だから肉としてのみ考えていいわけではないし、野生動物とも適切な関わり合いを持っていなければ人間は大事なことを忘れてしまうと思う(だからといってとって食うことが良いかはかなり議論が必要だろう)

 以前から農に関わる者として、食料生産、特に家畜の扱いについて無知のままではいてはいけないと思っていた。最近は、さらに踏み込んで口だけでいうものではなく、自ら実践して考えようと思い、狩猟免許の資格を取ろうとも考えている。

 だからこそ、「狩猟はスポーツ」ではなく、生き物の命を奪って頂いているものだということを胸に抱いて野生動物と人間の関係を考えていかなければ、と思う。

2014年6月12日木曜日

筑波山キャンプ

前回の更新からかなり間が開いてしまった。
本当に、日記感覚でつけていくように努力できるようにしなければ…

今回書くことも、実は少し前の出来事になってしまう。
6/8~9にやどけん(野生動物研究会)で、筑波山キャンプに行ってきた。このキャンプはやどけんの恒例行事で、毎年この時期に行っている(そして大抵の場合雨である)

 キャンプ場は筑波高原キャンプ場というところだ。場所としては筑波山の北側、裏筑波と言われるところである。水郷筑波国定公園の特別地域で、このキャンプ場周辺では採集などに関して特に規定はない。しかし、キャンプ場自体は作られてからかなりたっていてなかなか古い。筑波山では施設の老朽化が各地で問題になっていて、国定公園全体の問題となってしまっている。もっとも、やどけん部員に対してはそんな古さなどお構いないしで、むしろ虫が出れば歓迎するほどである。


例年雨が多いとはいえ、少しは晴れ間が覗いてくれるのが常であった。2年前には、二日目以降は晴れて見事な雲海を見せてくれたものである。筑波山は、関東地方にポッカリと標高900m近くの山があるために、氷河期の生き残りを含めた固有種の宝庫となっている。キャンプではそれらの生き物を観察することが主な目標だ。
2012年に見られた雲海。標高1000mも行かないところで
雲の上に立つとは思ってもいなかった。

  キャンプ場到達直前、林道脇でイノシシを見かける。野生のイノシシを見かけるのは初めてで、天候は最悪とはいえこれからに期待がかかった。もっとも、筑波山全体としては、イノシシはほぼ年間を通じて駆除期間となっているほど増えてしまっている。夜行性なのでめったにお目にかかれないものであることには代わりはないのだが。

 ちなみに、キャンプ場周辺は標高的には冷帯の植生も混じってくる場所である。カエデやシデ等がある一方、コナラなども一部には生えている。しかし、筑波山の北側は造林の盛んなところで、比較的よく手入れされたヒノキの人工林も混じっている。そのため、様々な動物・昆虫に出会うことが期待できる場所だ。

 しかし、それは天候が良ければの話だった。結果としては、二日間を通じて大雨で、まともな採集はできなかった。初のやどけんの大きなイベントとなるはずだった一年生たちには非常に残念な結果となってしまった。

 夜のBBQでさえ、炭が湿気っているほど常に雲の中という有り様だった。ライトトラップもやったが、大型の甲虫は来てくれなかった。沢には期待したが、雨と増水ですこしだけしか行動出来なかった。それでも、一年生たちは固有種のツクバハコネサンショウウオやサワガニを見つけていて、将来有望である。

ギンリョウソウ。腐生植物とよばれ、キノコのようにして
栄養を得ているが、れっきとした植物である

ツクバハコネサンショウウオ。昨年ほどに新種として発見された。

大量のサワガニ。実は結構美味しい。

サイレント・筑波

 やどけんは既にOBとなってしまったが、新入生たちもたくさん入り活気づいて何よりだった。現役生のじゃまにならないよう、これからも活動に参加していきたい。