2014年5月29日木曜日

宝篋山散策 ~水生生物の目覚め~

 5月29日、今日は非常に天気の良い日だった。つくばでも27℃を記録したらしい。

 一方自分といえば、昨日の水槽&キャビネットの納入でのまるで引っ越しのような作業、そして自転車での往復50キロに疲れきってしまったのか、一限が終わってから昼寝をしたりとグダグダとしていた。しかしあまりにも天気が良かったので、3時過ぎから宝篋山に言ってみようと思い立つ(遅い)

 宝篋山を研究しようと思っていた身でありながら、ここ2週間は宝篋山に行っていなかった。(自称)宝篋山マスターであった元会長に申し訳が立たない。

 さて、ここ四年間通いつめてきた宝篋山であったが、最近は航空写真による分析を試みていた。国土地理院地図・空中写真閲覧サービスというものがあって、そこでは一番古くて1940年台の(米軍による)航空写真を無料で閲覧・ダウンロードできる。貴重な資料をここまで大盤振る舞いしてくれる国土地理院には大変感謝している。

 年代ごとの航空写真を分析してみた結果、宝篋山は植生の変異の他に、大規模な採石所があったことがわかった。

 宝篋山自体は筑波山と同じく、花崗岩質であって良い石が採れる。今でも宝篋山の裏側で非常に大きな砕石場を見ることができる。

 今回の目的は、その採石所跡がどのように変化しているかを見てくることとした。

 旧筑波電鉄小田駅からほぼ北へ直進すると砕石場跡に出る。どうやら砕石場は戦前からあったものも含めて複数あるようだった。外観上はただの少し切り立った崖にしか見えなかったが、近づいてみるとかなり斜面がえぐられていることがわかる。

 ある程度登って行くと登山道があったため、自転車を止めて入ってみる。どうやら宝篋山小田休憩所へと続く小田城ルートの一環のようだ。

今回巡ったコース。左側の輪になっているところはかなり古い砕石場の跡地を回ったもの。中央の要害砕石場の跡にはまだあまり植生がない。

 結構な距離を歩いた気でいたが、実際に地図で見てみると目的の砕石場に到達すらしていなかった。それにしても、日が暮れかけていたとはいえ、このコースは暗くイノシシが飛び出してきそうで少し怖かった。
八幡宮があった。この場所は砕石場のすぐ脇だ。

自転車をおいて小田城ルートに入る。

砕石場の崖。わかりづらいが、かなり高く切り立っている。

展望台からはほとんど登った気はしていなかったがなかなかの眺望であった。


 砕石場めぐりをした後、少し時間があったのでいつもどおりの宝篋山の麓、棚田周辺も散策してみた。数週間前は水辺にオタマジャクシくらいしか見れなかったが、今日は多くの水生生物を見ることが出来た。

 たかだか数週間でここまで変わるものなのだろうか?4月にはタイコウチなどを確認していたが、どうやらそれらに加えて春に生まれた個体も目立つようになってきたようである。
ホウネンエビか、イトトンボ系の幼虫か...
沢山いたので今度は網を持って行きたい。
コガムシ。ガムシはゲンゴロウと違って泳ぎがたどたどしい。

出発した時点でだいぶ遅かったのでもう日が暮れかけてしまった。

 他にも、写真に取ることは出来なかったがシマゲンゴロウ・ヒメゲンゴロウ・シオカラトンボ・ヤブヤンマなどを見ることが出来た。

 特にシマゲンゴロウを見たのは初めてだった。このゲンゴロウは中型のゲンゴロウで、縞模様が美しい。環境省レッドリストではLCに指定されている。ゲンゴロウは中型以上のものはたいていレッドリストに載るものとなってしまっている。田んぼや用水路への農薬や護岸の影響が大きいようだ。

 その点、宝篋山では有機栽培を実施しているらしく、あまり見られない水生昆虫も多く見ることができる。

 次に行くときは後輩も連れて行って採集に勤しんでみようと思う。

2014年5月27日火曜日

「ドブの中の自然」

 授業の一環で

「ドブの中の自然 ー都市の生態系を考える」三島次郎

という本を読んだ。実際に読んだのはその冒頭のみだが、最近自分の中でモヤモヤとしていた自然への考えが非常にスッキリとしたので、概略と感想を書いてみようと思う。

 

~概略~

近年の自然への関心の高まりから、ビオトープを始めとした「自然の創生」が都会の随所で見ることができるようになった。多くはよく管理された、見た目も美しい人工的造成地である。しかし、それは本当に「自然」なのか、著者は都会のドブの生態系を引き合いに出して反論している。都会には都会の、管理しなくても出来上がっている自然があるのである。

 ドブ、と聞くと、そこに自然があると言われても想像できない人のほうが多いだろう。しかし実際にはアカムシやバクテリア、ギシギシのようなドブを生活の場とする生き物が息づき、ドブにあふれる豊富な栄養分を利用している。すなわち、ドブ自体は強力な自浄作用を持っているのである。見た目が悪いから、臭いからといってそのような生き物を取り払ったり、消毒などをすれば自浄作用は失われ、環境はさらに悪化する。このように、一見「自然」のない都会にも、実は自然の営みは隠れているのである。そして多くの人々はそれに気づかないでいる。

 一方、その都会への「自然の創生」は近年積極的に行われている。ビオトープに代表されるそれらの「自然」は、管理されることを前提としている。管理しなければ雑草に溢れ、木々は旺盛し、美観を損なう。ゆえに、手間と予算をかけて維持しなければならない。しかし、それは自然といえるのだろうか。“管理しなければ保てない自然は自然ではない”のである。

 都市緑化において叫ばれている「自然の創生」は、決して自然を創りだしているわけではない。それはあくまで人間にとって都合の良い「美観」を持った人工造成地である。その「美観」は人間による主観的な視点であり、時代や国々によって異なる。決して、緑地を作ることに反対するわけではない。その行為があたかも「自然を創生」し、自然と調和していると考えることの誤りを意識しなければならないのである。

 “都会には都会の生態系がある。”その生態系は人間の関係しないところで勝手に進んでいるものだ。それはドブや雑草、枯れ葉のように見た目は悪いものかもしれないが、それらも含めて自然の営みである。庭園や公園などの緑地は捉え方を変えれば人間にとって都合の良い生物のみを選び、他を排除した場所である。それが真の自然ではないということは明らかだ。我々はそれを意識した上で、自然の営みと日々の生活を調和させ、都会の生態系と共存しなければならない。


 以上が、この「ドブの中の自然」をまとめたものだ。文章自体は自分の提出したレポートをそのまま使ってしまった(それっていいのだろうか?)

 それを踏まえて、自分が最近里山について調べてみて、この考えから思うことがこうだ。

~感想~


 思うに、現代日本ではその身近な自然を受けいれず、管理された「自然」を自然だと思い込んでしまうことによる弊害が多いのではないだろうか。近年よくニュースに上がる、「川にコイを放流した」「展望台からの見晴らしを良くするために木を切ってツツジを植えた」などの事例は元々の自然を破壊しているのにもかかわらず、それを担う人々、主に定年退職後の方々が多いのだが、あくまで「昔の自然の風景を取り戻している」と考えているところが多い。

例:季節の花々咲く 忍性記念・極楽寺公園
宝篋山に出来た溜池。なぜか錦鯉が放される。この場所は去年までホタルが飛び交うところで、堰き止められた沢の脇にはオオムラサキの幼虫がいたエノキが生えていた。



一見して「美観」の良いものだから、という理由で自然に対して手を加えてしまうのは誤りだ。それはあくまで人工的な、主観の入ったものだと意識し、本来の自然と分けて共存させるべきではないだろうか。

 人々の利用という点で人口緑地は決して間違っているわけではないだろう。人口緑地を作る一方で、一区画には元々の自然を残した「放っておく」場所も作るべきである。人工緑地を気持ちよく利用する一方で、一画に残る自然の営みを理解できるようになること大切だ。


・・・と、たかだか22歳の大学生が言ってみる。

 しかし、現実の所上記に上がったようなコイが実は外来種で、自然に大きなインパクトを与えるということはあまり知られていない。

 人と自然が接する場所、里山や都市の緑地のような環境では必ず人為が生じる。それに対してどう向き合っていくのか、拒絶ではなく共生していくことが求められる。しかし、その考えは一部の生物好きに留められているだけだ。

 果たしてどうすれば一般の理解が得ることができるのだろうか...永遠の課題のように感じてしまう。

2014年5月22日木曜日

水槽について ~日淡アクアリウム~





相変わらず、いろいろと書きたいことが溜まってしまっている。
 最近「スタンフォードの自分を変える教室」という本を読んでいる。身の回りにあふれる欲求に対してどのように対処していくのか、というのが目標の達成には必要なそうだ。至極当たり前の事を言っているようだが、実際に具体例を言われてみるとなるほどと思う事例も多い。

 ひとまずは、小さなことから始めていってこのブログに書き込んでいく時間も作っていきたい。


 さて、前置きが長くなってしまったが、今回は自宅の水槽アクアリウムについて紹介したい。

 アクアリウムと書くとなぜか少しオシャレに見える。といっても、自分が本格的にアクアリウムに取り組みだしたのはここ半年のことである。その前までは一応水槽は置いてあったが、なんの管理もなされていなかった状態でさかな達には非常に悪いことをしていた。

 本格的に始めるきっかけとなったのは、牛久自然観察の森の「ハコビオ」水槽展示である。

 縁あってこの展示に関わることが出来たのだが、牛久自然観察の森では「牛久周辺の水辺の生き物」をコンセプトに展示を行っている。展示する生き物は田んぼや用水路でかつて当たり前に見られたであろう水生昆虫や魚、水草などで、そのコンセプトに自分は惹かれた。

 どうも、自分にとっては熱帯魚や熱帯の水草などは派手すぎて受け付けないものがあった。その点、日本の魚や水草はなにやら枯山水的な魅力を感じた。また、近場の里山でフィールドワークする身にとって、そこで採集した生き物を眺められるというのも魅力だった。
京都竜安寺の石庭。こんなイメージがお気に入り。
牛久の水槽(4月時点、現在はリセットされて変わっている)
水草と流木の組み合わせに惹かれた。

 結果、半年前に出来上がった水槽がこれだ。
2013/11
そして、現在はこうなった。三角構図?知りませんね...

現在の水槽。トリミング直後

 見ていただくと分かる人にはわかってしまうのだが、この水槽、上で日淡日淡と言っておきながら純粋な日本淡水魚水槽ではない。

 実は、セッティングから半年の間にアクアリウムをしている先輩からトリミングした水草を頂いたり、元からあった水槽の水草を引き継いだりもしている。その辺りの種類はまだ自分の不勉強のためわからないままとなってしまっている。

 しかし、一部の水草やレイアウト、そして魚にはなるべく日本のものを使ってみた。
 某友人には、「日淡にいきなり行き着くなんて変態だね。」と言われてしまったが、どうやら普通は熱帯魚などでは飽きたらずに行き着く先が日淡の世界であったらしい。

 ともあれ、この水槽についてどんなふうに作っていったか、以下で書いていこうと思う。


~レイアウト&設備~

 レイアウトはやはり枯山水へのあこがれから、それらしいものを模索してみた。セッティング初期の段階では、石を並べてソイルを砂に見立てていた。ちなみに、石は礼文島の露天で格安で購入した珪化木と、石垣島の海岸で拾って持ち帰ったものを使っている。初期の設備にはある程度お金をかけたいが、それ以外のものは購入せずに自分で探したものを使いたいという思いがあった。

 ソイルは、ブルカミアというものを使っている。このソイル、実は非常に高価なのだが、カタログに書いてあることが忠実に守られているので買ってよかったと思っている。というのも、このソイルの謳い文句は「水換え不要・寿命2年」なのである。今のところ半年使ってきてそれを実感できている。また、色が通常のソイルよりも明るい茶色なので全体が明るく見えるのも気に入っている。

濾過システムは底面フィルターを使っている。これはブルカミアの推奨する環境で、また水中ポンプを使っているので非常に静かだ。

 ライトには、AQUA SYSTEMのAXY LC 600を二灯使っている。正直この費用が設備投資のかなりを占めてしまった。このライトは最近流行りのLEDライトだ。LEDは、見た目もコンパクトで美しく、消費電力や発熱も低めで寿命が長い。自分の水槽には是非、と思っていたライトであったが、水草の育成に向いた仕様のものはかなり少なく、また高価になってしまう。まだまだ発展途上の分野なのでこれからの進化が期待されている。
左側3つが珪化木、他の石は石垣島の海岸で拾ったもの。

~水草~

キクモとヨシノボリ、ヤマトヌマエビ
この水槽で純粋に日本産のものといえるのは、キクモミズユキノシタのみだ。後々入れ替えていきたいとは思っている。

 どちらも日淡が好きなアクアリウム仲間?の方から頂いた。けっこう強いので、飼育も簡単だ。ちなみに、後者のミズユキノシタは宝篋山で採集したもので、増えたものは元の位置に植え戻している。

やはり、このような水草は近年見れなくなっているのが寂しい。少しでも生息数が増えてくれればと思う。


~さかな~

ドジョウ。半年でかなり大きくなってしまった。掃除屋。

ヨシノボリ。底を這う姿が可愛らしい。

ヤリタナゴ。雄の婚姻色が美しい。
カワムツ?ヌマムツ?

 魚とエビは、ヨシノボリ・ヤリタナゴ・ドジョウ・カワムツ(らしきもの)・ヤマトヌマエビ・スジエビを飼育している。

 大半は近くの宝篋山の用水路で採集してきたものだ。さすがにタナゴは土浦観賞魚という店で購入したが、こう見ると日淡というのも熱帯魚に負けず劣らずな美しさを持っている。

 この魅力をもっとたくさんの人と共有できたらいいのに...


また水槽に手を入れていったら紹介していこうと思う。

2014年5月19日月曜日

一週間の出来事

前回の更新からなんだかんだで一週間が経ってしまった。
移動中などに、あんなことを書いてみようなどと思い立つものであるが、なかなかそれを書き起こす機会というのもないものであった。

決して、忙しいすぎて目も当てられないというわけではなかったはずなのだが…

とりあえず、先週の出来事をまとめてみた。

~月曜日~

宝篋山にてフィールドワーク。地元の人への聞き取りから、宝篋山が1965年前後までは山頂まで続くよく手入れされたアカマツ林だと知る。
これは、後に詳しく記事にしていきたい。

~火曜日~

ゼミの報告会。前日の宝篋山のことについて発表するが、客観的事実をもっと根拠として示すよう意見をいただく。

~水曜日~

生活習慣を改めようと思い、5時に起きる。一日を非常に有意義に使えた気がしていたが、実質掃除と資料整理しかできていなかった?

~木曜日~

前日と同じく早起き。ただし、一限があったためということもある。市役所に行き、以前宝篋山について伺った観光物産課の方に名刺を渡しに行く。ただし、その方は不在であった。帰りに宝篋山にも行こうかと思ったが、日が暮れてきたため断念。
 近所のカワチの近くの草原にて、いつもキジの番を見ていたため撮影に出かけてみる。しかし、カメラの電池切れのため携帯でしか取れなかった。
Googleフォトだと、こんな感じで連続写真をGIFアニメ?にしてくれたりする。


~金曜日~

授業に出て、バイトに行ってそれでおしまい...

~土曜日~

東大五月祭に行く。知り合いが生き物のインカレサークル「ゆるふわ」に出店するとのことで、それについて行かせてもらった。
 ゆるふわは、その名と裏腹にやどけんを進化させたかのようなその道の人々の集まりで非常に勉強になった。
 
この出展者が発見した新種の川エビらしい。日淡らしからぬ模様は非常に飼育欲を誘われる。
ウミウシの水槽。これほどの種類のウミウシを見るのは初めてであった。


 ついでに五月祭の他の出店を見て回るが、相変わらずレゴ部は圧巻である。


 院試の説明会に来ていた同期と偶然あったり、高校の同級生と会ったりも出来た。久々の東京だったが結構楽しかった。

~日曜日~

 毎週恒例の牛久自然観察の森。いつも行き帰りに何かしらの動物を見かけるのだが、今週はキジが佇んでいるのを見れたくらいだった。
 施設内では休憩中のコガタスズメバチ、巡回中らしいオオスズメバチ、ホソミオツネントンボなどを見れた。また、ネイチャーセンター内で飼育しているタガメが半年目にして初めて甲羅干し?をしていた。
 やはり暑くなると活性が増すのだろうか。ヤゴも元気にアカムシを食べていた。


 こうして振り返ると一週間はあっという間だが、いつ何をしていたかというのは意外と覚えていない。ブログを日記代わりに書けるよう更新していきたいものだ。

2014年5月13日火曜日

筑波山 その3 ~登山と下山~

~つつじヶ丘-女体山頂~

つつじヶ丘から徒歩による登山に入る。二人共自転車の登りの負担が脚に来ていて、足取りが重い。
 
 つつじヶ丘からしばらくは、かなり人為の入ったエリアを通る。大学の植生の研究者である上條先生によると、江戸時代から草刈り場として利用されてきた場所らしい。もっとも、それは筑波山全体に言えることなのであるが。このエリアだけ比較的その様相が残っているのは、「つつじヶ丘」の名称の通りツツジを多く植えているためなのだろうか、それとも「風返峠」名前の言うように尾根筋で強風でも吹くのだろうか。

 しばらく歩くとようやく日差しが遮られ、木漏れ日が入るほどの植生となる。それでも、向かって左側はスギ林で、右側はコナラなどの雑木林でまだ若い森の様相がある。

 ここから少し行くと、アカガシの生える標高となる。アカガシは常緑広葉樹の仲間にしては珍しく、比較的標高の高い場所に生えている。この辺りから、冷温帯性の植生が増えてくる。

 登山道の中間地点、筑波山神社方面への道の分岐点の少し上には、台風で折れてしまった巨大な杉の切り株がある。これを少しでも輪切りにして、持っていければ、素晴らしいテーブルになるのにといつも思ってしまう。ちなみに、分岐点は休憩所となっていて、そこにはその杉を使ったベンチやテーブルが有る。

 ここで、すぐ近くから美しい鳥の鳴き声がした。どこにいるかと見回すと、k村が見つけてくれた。その鳥は登山道のすぐ脇、杉の丸太や枝が散乱する場所で鳴いていた。
ミソサザイ。この時望遠レンズを持って行かなかったことが悔やまれた。
杉の切り株 2013
後にわかったのだが、この鳥はミソサザイという鳥であった。翌日鳥好きの知人に伺って判明したのだが、その人はこの鳥を求めて軽井沢に行く予定だったらしい。いるところにはいるようなのだが、筑波山で見れるとは思ってもいなかったらしく「筑波山行き決定した。」と言っていた。

 登山道は尾根沿いに続く。ここ以降は岩場が多くなり、急に傾斜がきつくなる。これは筑波山を構成するはんれい岩がこの標高から地表に現れてくるためである。はんれい岩は花崗岩によりも硬く、削れにくい。同時に、筑波山を代表する奇岩群も現れてくる。
2013

2013
  
 そして、さらに標高が上がってブナ帯へと入る。ブナは筑波山を特徴付ける主要な種だ。ブナは日本の冷温帯を代表する樹木で、基本的には日本海側に分布している。これは冬季の多雪がブナの生育、特に後継樹の成長に大きく影響しているためで、太平洋側の関東平野では筑波山に生息地が点のように存在している。氷河期時代の生き残りが温暖化で上へ上へと追いやられた結果である。近年は温暖化の影響を大きく受けていると言われている。
新緑のブナ。慣れてくると樹形で判別できるようになる。

 個人的に、ブナは非常に好きな木だ。なぜかと言われてもよくわからないが、あの樹皮の模様と葉の形、色を気に入っているのかもしれない。しかし、筑波山のブナはよく見られるような、白の斑点が入った美しい樹皮をしているものは少ない。これは雪の少なさが原因なのか、大気の問題なのか、自分にはよくわからないが、筑波山におけるブナの大きな特徴だと思っている。


新潟県のブナ林通称「美人林」。名前の通り非常に美しいが、この森は相当人の手が入っている。

 この場所で再び鳥の鳴き声を聞いた。先ほど聞いたものとは違うが、とても美しい鳴き声だった。再び、その姿を登山道のすぐ脇に捉えることが出来た。
ソウシチョウ
最初はキビタキか?と思った。やはりこれも翌日に鳥好きの方に聞いて判明したのだが、ソウシチョウという鳥であった。これは日本の侵略的外来種ワースト100にも入っている外来種で、元々鳴き声が美しかったために中国から輸入されたものらしい。筑波山は主要な生息地になっているとのことであった。今回は、冬に何度も登った時より鳥をよく見れた気がする。

 そして、女体山頂へと着いた。途中からは二人共もはやあまり疲れを感じずスイスイと登っていた。山頂付近はシーズンということもあり、登山者で渋滞していた。筑波山は女体山と男体山からなり、祭神はイザナギとイザナミである。いつも女体山の方が眺望が良いためそちらに登ってしまっている。

 山頂には筑波山神社・女体山の本殿(中腹は分社?である)がある。ちなみに、二人共願いは
「良い出会いがありますように。」
だったようだ。真面目な話、筑波山は万葉の時代から男女の出会いの場である。

 山頂の岩の、いつも自分のお気に入りの場所で昼食を食べる。天気は快晴だが、少し靄がかかってしまっていた。条件が良ければ東京スカイツリー、新宿の高層ビル群、果ては東京湾まで見えるのだが、それをk村に見せることは出来なかった。このポイントは、270度ほどの大パノラマを楽しめ、柵などの障害物もなくとても気持ちがいい。
山頂から麓を望む


ゆーみんのひこうき雲を流したくなるような風景

2013 12月
2013 11月
ちなみに、他の日ではこんな感じである。すっぽりと雲に入ってしまって何も見えない時もある。


~女体山頂-帰宅~

 景色を堪能したところで、帰宅する。下りは驚くほど早い。

 再びソウシチョウに出会う。今度は真上で鳴いてくれた。

 つつじヶ丘から、帰りは八郷の「ゆりの郷」という温泉に向かうために石岡方面に向かう。60キロ以上を自転車で出したのは初めてだったが、とても楽しいものだった。相変わらずk村のテンションは高い。



 最後は、温泉に入って朝日トンネルを通って帰ってきた。帰ってきて、k村が
「大学生活でトップ10に入る楽しさだった。」
と言ってくれたのは、企画したこちらとしてもとても嬉しいものであったし、自分としても楽しかった。

 また機会があればこんな小旅行を楽しんでみたいものである。


2014年5月12日月曜日

筑波山 その2 ~ヒルクライム~

一昨日(2014/05/10)筑波山に登ってきた。
きっかけは、東京の大学に通う高校の同級生(以下k村)の
「なんか自然があるところに行きたい。」
の一言であった。

彼がなぜそのような心境に至ったかは知るすべもないが、なんとなく都会の喧騒に疲れてしまったのだろうか。
かく言う自分は、つくばに住んで3年になるが、人のあふれる大都会というのはなんだか近づきがたいものになってしまった。

ともかく、k村の要望に答えるべく、筑波山登山を提案した所、なんと自転車で行ってみたいと言い出したのである。もちろん、彼は自転車(クロスバイクやロードバイク)を持ってもいないし、乗ったこともない。そこで、自分の持っているクロスバイクを貸す事にした。予定ルートはその1で紹介した不動峠ルートとしたが、初めて自転車に乗る彼が果たして峠越えなどできるのだろうか。

~大学-つつじヶ丘~

色の違いはスピードを表す
不動峠の連続勾配がお分かり頂けるだろうか


これらはgoogleのMy tracksというアプリを使って作成した。

  • 9:20 大学発
  • 10:22 不動峠アタック開始
  • 10:50 不動峠を超える。筑波山スカイラインへ
  • 11:15 風返峠着。つつじヶ丘への最後の坂道
  • 11:30 つつじヶ丘着

 前日夜にk村と久しぶりの再開をする。と言っても、彼とは2月に東京で会っていたのであるが。母校の人たちとはつくばにいるとなかなか会えるものではない。と言っても、彼にとっても同じ大学にいても、同じ方面の電車に乗っていてもあまり会うことはないらしい。さすがに大学四年ともなると高校時代の付き合いというものは薄れてきていて少々寂しいものがある。

 当日は快晴で風もなく、絶好のおでかけ日和であった。初めて乗るクロスバイクにもk村は快調に乗りこなし、ひとまず安心をする。さすがは自分とほとんど変わらない体格をしているだけはある。彼も自分も高校時代は足が長いキャラ?であった。

 大学周辺から筑波山方面へは、一ノ矢八坂神社の横を通ってつくばりんりんロードへといたる道を使う。この道は一直線で車通りも少なく、筑波大生に限らずたくさんの自転車乗りに利用されている。途中、大学のある台地から桜川沿いの田園地帯へと下る道は○○高速と呼ばれ(名称は忘れてしまった)一気に加速でき、見通しの良い直線のため勝負を仕掛ける人もいるらしい。ここで、k村は初めて体験する速度に叫びだし、とてつもなくテンションが上がっていた。昔から変わらない彼のテンションは面白い。あそこまで嬉しそうだとこちらまで嬉しくなる。

 桜川を超えると小田付近からつくばりんりんロードへと入る。りんりんロードは筑波電鉄筑波線の廃線跡を活用したサイクリングロードだ。TXの開業まで廃線にならなければ…と切に思う。
旧筑波駅。駅のホーム跡は休憩所などに利用されている。 2013

 今回は不動峠から登るため、旧筑波駅までは行かずに北条の手前でりんりんロードから外れる。不動峠はこれが峠道なのか?と不安になってしまうほど狭く、入り口もわかりづらい。その分、自転車乗りたちにとっては格好のトレーニング場所となっている。この日は天気もよく、休日のためか、多くのサイクリストたちが登っていた。今まで何度か来たことはあったが、平日だったり、シーズンオフだったりであまり人には会ったことがなかったので驚いてしまった。人はなぜか自転車にのる時と登山するときは紳士になる。すれ違う・抜かす・抜かされるたびに挨拶されるのも気持ちいいものである。
 この坂道にk村はついてこれるだろうか?という不安は杞憂であった。むしろ、真後ろにつかれたり抜かされたり煽られるほどであった(彼の荷物も全部自分が持っていたとういうこともあるが…) バトミントン部の体力、恐るべし。

 無事、不動峠を超える。k村はほとんど息も切れていない。さすが運動部。ここからは筑波山スカイラインを行く。時たま現れる「二輪車通行禁止」の表記がここを走ってもいいものか、という気分にさせるが、自転車は通行可だという人の言葉を信じてみる。大学の公園について研究している教授がおっしゃるには、まだ日本、特に筑波山では自転車による登山というものの馴染みがなく、法律や行政の対応が追いついていないらしい。そもそも筑波山はビジターセンターすらなく、レンジャーもいない状態では通常の登山者への対応さえできていないのであるが。
 この道はアップダウンが激しく、スピードの変化も激しい。相変わらずテンションの高いk村は後ろで叫んでいた。楽しそう。

 そして、風返峠へと至る。ここからつつじヶ丘へはループ線も含めた1.5kmの登りである。覚悟を決めて登り始めたが、k村はあっさりと登ってしまう。
「あ、終わっちゃった。」貴様何者だ。つつじヶ丘にて記念撮影。
つつじヶ丘を望む

(続く)





筑波山 その1 ~筑波山と自転車と~

実質ブログ初投稿である。
さて、記念すべき第一稿は、筑波山についてにしようと思う。

筑波山は茨城県つくば市に位置する標高877メートルの山で、古くは万葉の時代にも登場する歴史ある山だ。筑波山は火山ではなく、隆起した深成岩が風化せずに地表から突き出ている山である。関東平野にポッカリと突き出ているこの山は、氷河期時代からの生き残りも多く自然環境的にもとても興味深い。

つくばりんりんロードからの筑波山 2013
さて、自分にとってこの山は自宅のアパートの玄関を出れば目の前に浮かび上がる山だ。かつて埼玉県に住んでいても東にポッカリと浮かぶこの山は印象的であった。つくばに越してきて、しばらくはただ見ているだけであったが、昨年からその魅力に惹かれて度々登山するようになった。

そのアクセス手段は、時たまバスや車であることもあるが、たいていは自転車である。
筑波山神社付近にて 2012
筑波大学周辺から筑波山の麓までは、自転車でわずか40分ほどである。そこから登山口へは3パターンの行き方がある。

第一は、通常最も使われるルートで、筑波山口から筑波山神社・つつじヶ丘を目指すルートである。この道は路線バスや乗用車も多く通るので自転車にはあまりオススメではない。

第二に、つくば道を使い筑波山神社に至るルートだ。つくば道は筑波山口から少し東寄りに、江戸時代からある道で、両脇に広がる街並みを眺めながらゆっくりと歩むことができる。つくばフットパスのルート候補にも上がっている道で、車も来ず歴史を感じたいならこの道である。ただし、もともと階段の一直線を舗装したような道で、とてもではないが自転車に乗って移動はできない。麓付近の鳥居近くに市営の駐車場があるので、そちらに止めて徒歩で上ってもいいかもしれない。

どちらも、筑波山神社まで行ってしまうと自転車でも駐輪料金を払わなければならないので注意が必要だ。

そして第三のルートが、不動峠から筑波山スカイライン、風返峠を経てつつじヶ丘に至るルートだ。このルートは自分の最もお気に入りのルートでもある。何よりも楽しいのが、不動峠とつつじヶ丘手前でのヒルクライムだ。この場所は自転車乗りにとって定番のルートになっていて、休日となると多くのクライマーが挑戦する場所となっている(かつてママチャリの後輩に登らせてしまってひどい目に合わせてしまったことがある。ゴメンナサイ)
比較的車が来ない場所であるので、ゆっくり登っても問題ない。時たま開ける眺望も抜群だ。
つつじヶ丘にて 2013

不動峠より 2013

そして、今回(2014/05/10)はこの不動峠ルートで筑波山に登ってきた。詳細は次回にて(明日更新します)




ブログはじめました

「facebookはスーツ、mixiは部屋着、Twitterは全裸」
という言葉がある。Twitterのコピーだというが、なかなかよい言葉である。

近年のSNSブームに乗っかって、自分も様々なSNSを使ってきた。その中でも、facebookは何かイベントが有った時に、Twitterは自由に気兼ねなくというように使ってきた。

しかしここのところ、趣味にのめり込んだことを誰かに伝えたい!と思うと、両者ともあまり適していないということに気づいた。
というのも、Twitterでは気兼ねなく投稿ができるものの写真や文字の制限が厳しく、facebookでは写真文字の制限があまりなくても、facebook自体の雰囲気に自分の投稿内容が合わないのである。

そこで、自らの趣味の発信に全力を尽くしている某友人が、その手段として用いているブログに注目してみた。近年のSNSブームから、ブログを個人でやることはないと思っていたが、実際に見てみると非常に便利なものだということに気づいた。

自らの趣味のことを書き連ね、それでいてそれをわかりやすく発信するためには、なかなかの文章力が求められる。これから研究内容などを発表していかねばならない身にとっては、そのスキルは必須である。

このブログでは、自分の体験した出来事(主につくば周辺における自然や、自宅の水槽について)を発信していこうと思う。数々の駄文を書き連ねていくことになるであろうが、読んでいただければ幸いである。

ちなみに、「つくばふーどき」とは、昨年自分が関わった筑波大学のT-act活動「田舎じまんプレゼン大会」企画団体の名称である。この活動は長く続けることは出来なかったが、その時の理想を持ってこのブログを続けていきたい。